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ネルソンマンデラの母



世界を動かした南アフリカ人シリーズ
一番最初に紹介するのは
ネルソン・マンデラ...ではなく
お母さんのNosekeni Fannyです。

ネルソン・マンデラを知らない人は
自伝の「自由への長い道」
または
こちらのブログからどうぞ。

1990年代始めまで南アフリカの
黒人を苦しめ続けた
人種による隔離制度アパルトヘイト。
そのアパルトヘイト政策の撤廃、
全人種の融和、
レインボーネーションの実現に
人生を捧げ、
初めての黒人大統領となったのが
故ネルソン・マンデラです。

もうすぐ母の日ということで、
今日はネルソン・マンデラ本人ではなく
マンデラの母親について
紹介していきたいと思います。

Nelson Mandela's Mother
名前は、ノセケニ・ファニー。
東ケープ州、ウムタタ地区の
ムヴェゾという小さな村で生まれました。

幼いころから、教育の大切さ、
誠実に生きることの大切さを
教えられて育ったとされています。

16歳の若さで
ムヴェゾ族の長の3番目の妻となり
ネルソン・マンデラを授かります。
一夫多妻制のこの大家族には
13人の子供がいましたが
ファニーにとっての長男が
ネルソン・マンデラでした。

ノセケニは敬虔なクリスチャンで、
とても芯の強い女性でした。
政治集会にも参加し、
アパルトヘイト政策の不正を
訴える政治活動家でもありました。
その母の背を見て育った
ネルソン・マンデラ。
母の生き方が、彼の人生に
大きな影響を与えたことは、
言うまでもありません。

父親は、ネルソン・マンデラが
12歳の時に他界。
その後、しばらく母親と離れて
暮らすことになりますが
その間も母親は彼が学校に通えるように
一生懸命に働いたのでした。

そんな母親のサポートのもと、
ネルソン・マンデラは、大学に進学し、
後に学位を取得、
黒人初の弁護士事務所を立ち上げ、
アパルトヘイトの撤廃を訴える
活動を始めます。

その活動を理由に捕まった
1964年のリボニア裁判にて、
ネルソンマンデラは
終身刑が確定し、
南アフリカの離島となる
ロベン島の刑務所を含めると
27年間もの間収監されてしまいます。
収監されている間、
母親との面会は
ほとんど許されませんでしたが
ネルソンマンデラの自伝には、
彼女が亡くなる直前まで
信念のために戦うマンデラの
背中を押し続けてくれていたと
書いてあります。
最愛の母親は心臓発作で
1968年に亡くなりました。

収監されていた
ネルソン・マンデラは
母親の葬儀に出席することもできず
深い悲しみと、悔しさに
長い間苦しんだとされています。

どんな時でも
全力でサポートしてきた
強い母親の存在は
マンデラが人生の幕を下ろすその日まで
原動力となっていたことでしょう。

偉大な母親の遺した
正義と平等を訴える強い心が、
息子に受け継がれ、
南アフリカで広まり、
世界中に拡がったのです。

ノセケニ・ファニー、
自身の母親について語った
ネルソン・マンデラの言葉↓
"My mother, she was my first friend in the proper sense of the word. She was not an emotional person, she was completely controlled, calm, at peace with herself and with the world."
「初めてできた真の友達は母親でした。感情的な人ではなく、いつも冷静で、落ち着いていて、自分に対しても世界に対しても平和な人でした」
~ Nelson Mandela from the Documentary: Mandela, 1996


なんてことのない言葉ですが、
ネルソン・マンデラと母親の
強い絆を感じとれる言葉です。

大人になればなるほど
母親の偉大さに気づくことが多く
同時に、自分が母親として
正しい選択をしているのかを
不安に思ったりもします。
最近は勉強も手伝えないし
愛を注ぐことしかできないのですが、
その注ぎ方も正しいのかは
はっきりとわからず。

でも、幸せを願う。
これだけは自信をもって言えます。

そんな思いを伝える日
そんな思いを感じてほしい日

Mother's Day
5月12日。



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