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南アフリカ歴史パート②ヨーロッパの植民地に


南アフリカと聞くと何をイメージしますか?
2010年サッカーワールドカップや
2019年のラグビーワールドカップでの
輝かしい活躍が記憶に新しいかもしれません。
観客席でブブゼラを響かせている南アフリカ人を
記憶している方もいるのでは?

南アフリカはアフリカ大陸の中では
先進国と言われるほど大きく発展してきました。
しかし、現在の南アフリカになるまでには、
多くの人が汗と血と涙を流し、
差別からの解放を目指し
苦労と努力を積み上げてきた歴史があります。
そんな歴史がもたらした傷の爪痕は
今もなお、深く残っています。
南アフリカ歴史パート②では、
大航海時代まで遡り、
多民族国家南アフリカの起源となった
歴史の流れを少し紹介していきます。

時は14世紀、日本では室町時代の頃の事です。
1488年、ポルトガルの航海者
バルトロメウ・ディアスが
ヨーロッパ人として初めて
南アフリカの喜望峰に足を踏み入れました。
インドを目指している時に嵐にあい、
ポルトガルに向かう途中に見つけた先が
南アフリカの喜望峰だったとか。

その後100年ほど
南アフリカは航海途中の拠点としてのみ考えられ
開拓されることはなかったのですが、
15世紀、16世紀と、
インド・アジアとの貿易が盛んになるにつれて、
貿易船の補給基地を
南アフリカで開発する計画が持ち上がり、
1652年に
オランダ人のヤン・ファン・リーベックが
テーブル湾に入植地の建設を開始しました。
その場所はケープタウンと名付けられ、
植民地開発の拠点となります。
そこからオランダに続きイギリスも
南アフリカに移民を送るようになり
オランダ・イギリス、そして
アフリカ原住民との間で
争いが激化していきます。

1790年代末頃からナポレオン戦争が始まり、
オランダはナポレオン率いる
フランス軍から制圧を受けます。
そして、1795年、
自国防衛に必死のオランダの隙を狙い、
イギリスがケープタウンを占領。
1814年、
ケープタウンは正式にイギリス領となりました。

イギリスはダイヤモンド鉱山を発見するなど、
その後もぐんぐん勢力を拡大していきますが、
そのなかでズールー人、ンデベレ人、
スワジ人など
多くの原住部族の大移動や争いがあります。
オランダ系移民の子孫(ボーア人)と
イギリス人との
2度にわたる大きな戦争もありました。

1910年、ケープ植民地と3つの州からなる、
南アフリカ連邦をイギリスが設立。
この頃から、勢力を保つイギリス人と、
オランダ人との経済格差を補填し、
白人の人権を守る為に、
黒人への人種差別が始まるのでした。

これにより肌色によって働ける労働の種類や、
所有できる土地が制限されます。
これが後に始まる
アパルトヘイト(人種隔離)政策へ続く、
南アフリカが抱える
苦しみの根源と言われる時代の始まりです。

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